日本刀の歴史は長く、「千年の時を経て」などと表現されます。今から千年前といえば、平安時代中期(寛仁4年)です。この時代の大事件の一つは、外国の海賊団による襲撃・略奪行為でした。また、富士山などの活火山の活動も続き、外圧や天変地異の不安に苛まれた悩み多き時代でした。ただし、当時の藤原行成筆の書状(重要文化財・東京国立博物館蔵)などを見ると、西暦1020年頃は外来の文化を取り入れてまさに独自の文化が育まれた時代でもあったことが分かります。
独自文化への機運は、なにも書や生活様式ばかりではなく、刀剣にも影響を与えました。今日いうところの刀剣つまり「反りのある湾刀」が生まれたのも同時代であったとされており、全国的な普及を見たのはまさにこの時代でした。代表的な刀工は、伯耆安綱・三条宗近・備前包平などで、三工の作中でも各々名物の童子切安綱・三日月宗近・大包平はいずれも名品で、国宝に指定されています(東京国立博物館蔵)。
ここで注目すべきは、刀剣の形状が千年もの間ほぼ姿格好を変えることなく今日に至っているという動かし難い事実です。世界的にみても、創生当初から形状を変えずに千年も存続し続けた道具はあまり前例がありません。そのためか、刀剣というと古い物も新しい物も似たり寄ったりで一色淡に思われがちなことから、長さの違いや太さなど単純な外見上の違いにばかりに目が向き、一般美術品に比べて違いが分かりづらいと感じられる方が多いようです。
そこで、単純に長い短い・太い細いといった感想論から一歩踏み込んで、古い・新しいという決定的な違いを見分けるポイントをご紹介します。この初めの一歩を理解した瞬間、刀剣の世界が突然大きく動き出す感覚を感じられること請け合いです。実はこの一点が、刀剣鑑定の初歩にして、最大の鑑定眼を身に着けるポイントでもあります。
まず刀剣を見て、「これは古い、これは新しい」という定義は一体どこにあるのでしょうか?古い刀・新しい刀の線引きを知るには、日本の歴史の大きな転換期を考える必要があります。
日本は、長きにわたり戦乱の世が続きました。この殺伐とした世界を一新した最大の出来事は、戦乱期の終焉です。江戸時代の到来によって、戦乱に明け暮れた時代から平和な時代へと急速に時が流れ、思考の転換が求められました。最も方向転換を余儀なくされたのは他ならぬ武力でその地位を確立した人たち、つまり武士階級だったのです。
従来の武の存続意義が問われた時代、武士の象徴である刀剣の立ち位置もまた大きく変わりました。それまで武器としての性格が強かった刀剣が、精神的支柱としての象徴的な存在となる大きな分岐点を迎えたのでした。
そこで、これまでの古い刀を「古刀(ことう)」と定義し、新しい時代の象徴となる刀剣と別けて考える様になりました。当初は、新刃(あらみ=新身)と言い慣わして前出の古刀の反語として当時の新作刀を指していましたが、今日では明確に慶長期以降の刀剣を「新刀(しんとう)」と定義しています。
この古刀と新刀の違いは、単純に古い刀・新しい刀というだけの違いでは収まりません。新しい時代つまり政情が安定した江戸時代は、インフラの整備により流通が確立し、高品質な材料が安定供給される環境が整備されたのです。これにより日本中どこでも同じ材料を入手できる様になり、結果、それまでの地域色の強い刀剣(五ヶ伝:地図参照)の作域が姿を潜め、山陰地方から産出する作刀に向く材料で作られた刀剣が各地で製造されるに至ったのです。
この古刀・新刀を見分け方法はいたって簡単です。鉄の純度の違いによって、不純物が多ければ可視光の吸収率が高まり反射率が下がることから古刀は暗く反射します。逆に不純物の少ない純度の高い鉄で鍛えた新刀は、反射光がより明るく冴える傾向が認められます。この最大の理由は、平和な時代だからこそ成し得た流通の確立に起因するわけです。
日本刀を学ぶことは、前出のとおり同時に日本の歴史を深く知ることにも繋がります。さらにいうと、日本人の過去の姿を垣間見る大きな手助けにもなり得るのです。刀剣の見方を知るにつれて、刀剣から得られる情報量は増し、それと共に歴史をより身近に感じられることも刀剣愛好の楽しみだと思います。